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<追悼> 堺屋太一氏と追手門学院

2019年2月8日にご逝去された、堺屋太一氏を偲び、生前の追手門学院との関りと共に学院生に頂いたメッセージをご紹介します。

堺屋太一先輩を悼む

学校法人 追手門学院
理事長・学長 川原俊明

 堺屋太一先輩のご逝去が報じられました。本名池口小太郎さん。
 通産省(現・経済産業省)入省当時、日本での国際博覧会開催を提案・企画。
1970年の大阪万博(日本万国博覧会)を来場者6422万人という大成功を収められました。また作家としても著名で、代表作は「団塊の世代」。題名がそのままベビーブーム世代を表現する言葉に定着しました。
 経済企画庁長官を歴任されるなど、時代を先取りする先見性を持ち、日本の政治経済に大きな影響を与えられた方でした。
 堺屋太一さんは、追手門学院小学校(当時は大阪偕行社学院)第59期生。戦火の中、大阪空襲を避けるため、奈良に疎開されたため、卒業とまではならなかったものの、本学との関係を強くご理解いただいておりました。私が校友会山桜会会長時代の2003年、学院創立120周年記念事業の一環として、追手門学院小学校110記念ホールで、記念講演をしていただきました。テーマは、「日本経済再生のキーワードと教育について」。
講演では、「日本経済衰退の原因は、官僚体制の弊害と、過度の東京一極集中にある。大量生産から移行した現在の日本経済再建のためには、個性ある想像豊かな人材の育成が不可欠。」と強調。今も鮮明な記憶にあります。120周年記念式典では、学院生に対するビデオメッセージをいただきました。「経済大国から、しあわせ大国に」。
その後、堺屋太一さんと語り合ったのは、「知価会館」建設構想(※ 著書・知価革命からの名称)。大手前の敷地を活用し、私財を投じてでも、同窓会館、堺屋記念ホール、奥様の池口史子画伯ギャラリーを作りたい。この構想が幻に終わったのはとても残念でした。ご冥福をお祈りします。

堺屋太一氏
2003年の来校時に撮影

堺屋太一(小学校59期)

略歴
1935年
大阪市生まれ
1942年
大阪偕行社学院(現 追手門学院小学校) 入学
1960年
通商産業省(現 経済産業省)入省
大阪万博、沖縄海洋博の企画・実施に携わる。
1975年
小説「油断!」で作家デビュー
「団塊の世代」「峠の群像」「秀吉」など多くの著作を残す。
1998年
経済企画庁長官 就任
2000年
内閣特別顧問 就任
2011年
大阪府特別顧問、大阪市特別顧問、大阪府市統合本部特別顧問 就任
2013年
内閣官房参与 就任

2003年の講演会の様子
2003年の講演会の様子

追手門学院との関係

1942年
大阪偕行社学院(現 追手門学院小学校) 入学
1945年
大阪大空襲で自宅が消失し、父の実家の奈良県南葛城郡(現 御所市)に転居
1996年
追手門学院大学創立30周年記念講演会
大河ドラマの原作となった「秀吉」をテーマに講演
2003年
追手門学院小・中・高、第一期卒業生50周年記念講演会
「日本経済再生のキーワードと教育」をテーマに講演
2003年
追手門学院校友会 山桜会 会報誌「山桜会報」
『軍人を「偉い」と信じた失敗 』 の標題にて寄稿

2008年
追手門学院創立120周年記念式典
学院生へのビデオメッセージ
2009年
書籍「追手門学院の履歴書」
「経済大国から幸せ大国へ」の標題にて寄稿